ニヒリズムをポジティブに使って、自分嫌いをやめる

 

1導入
今回は 自分のことが嫌い な人に対して、ニヒリズムを参考にした
自分嫌いを軽減できる(かもしれない)考え方を提案させて頂きたいと思います。

 

尚、ニヒリズムとは簡単に言うと、何事も無意味というかんじです。

それではこれより提案させて頂きます。

 

 

2何事も無意味であり、それ自体は良くも悪くもないことを理解する
最初に理解して頂きたいことは、全ての存在物は本質的には良く(善く)も悪くもなく
ただ存在しているだけ、ということです。

良し悪しは自分そのものではなく、状況や環境に応じて規定されてしまうのです。

 

例えば、ある車が時速100kmで走行しているとします。
これが高速道路だったら問題ありません。
しかし、これが一般の道路だったら大問題です。
と、いうように。

 

なので、この世界の価値体系があなたにとって不都合になっていると考えて下さい。
(だから、あまり自分を責める必要はありません)

 

 

3世界の価値体系に絶対的な根拠は無い
上記のような主張をすると、多くの人が
既存の価値体系に逆らうのはダメだ、と言ってきます。
つまり、既存の価値体系において「良い」ことをしないとダメだ
良いようにふるまわないといけないと。

 

例えば、挨拶をしたくないと言うと
そんな奴は人間ができていない、とか、社会人として失格など
このように既存の規範に従って問答無用で断罪してきます。

ほんと、他にもいろいろありますね。

 

しかし、よく考えて下さい。


そうすれば

「この社会の価値体系では当たり前になっているけど、よくよく考えたら
その当たり前が絶対的に正しいことを証明する理論や根拠は何もない」
ということがわかるはずです。

挨拶をしなければ絶対にいけない理由
人間として失格な明確な理由 などありませんよね。
「なぜかわからないけど」そうなっているからそうしているだけです。

よって、次のように考えられませんか?


あなたは既存の価値体系に当てはめて(当てはめられて)
自分にネガティブな評価をしている(社会的マイナスの烙印を押されている)
しかし、その価値体系を絶対的に正しいと言える根拠は何もない。

 

だったら、別にそれに当てはめる必要ありますか?
正しいか正しくないか曖昧なことに従う必要はないと思いませんか?

 

 

4中間まとめ
一言で言うと、あなたを劣位にさせてしまう既存の価値体系に対する
別の考え方を提案しました。それは相対主義です。

これまで価値体系には逆らわない=絶対主義だった思いますが
価値体系にはその正当性に対する絶対的な根拠は無い
だから、別にそれに従う必要ないよね という新しい考え方=相対主義を推奨します。

 

ということで
・自分は状況(環境、ルール、文化等)によって劣位に「させられている」
・その状況の価値体系に絶対的な正当性の根拠はない

 

以上のことから、自分のことをあまり責めないでください。

 


5陥穽
しかし、落とし穴があります。
それは他の人の99%(体感)は絶対主義ということ。
自分が「根拠が無いから従う必要はない」と言っても根拠とかどうでもいいと
一刀両断され、誰にも理解してもらえません。どうすればいいのでしょうか?

 

 

6何も気にしない
その答えは何も気にしないということです。
思い出してください。ニヒリズムとは全ては無意味ということです。
これまでは既存の価値体系の無意味さを説明してきました。

 

しかし、無意味なことはそれだけではないということです。
相手の主張、自分の主張、自己嫌悪の感情これら全ても無意味
ということも忘れてはいけません。だから、何も気にする必要はないのです。

 

何を言われようと、何を思おうとそれは無意味なのです。
自分のことが嫌いだと思う感情も無意味で無価値なのです。

 

 

7まとめ
本記事の要諦を整理すると下記です。
1何事もそれ自体は良くも悪くもない。良い悪いは状況に決められる
2状況=価値体系には正当性の根拠がない。だから、それに必ずしも従う必要はない
 つまり、相対的な考え方を導入してみようということ
3と言っても周囲の多く人は相対的な考え方を許さない。結局認められないかもしれないが、その意見も自分の意見も無意味なので、最終的には何も気にする必要が無い
4何も気にする必要が無いと考えることで、あなたの自己嫌悪が軽減されれば幸いです